芸術人「川喜田半泥子」

北大路魯山人は有名な芸術家で、ご存知の方も多いかと思いますが、川喜田半泥子のことはどうでしょう。

北大路魯山人は京都生まれですが、最終的には東京の方でご活躍されていますので、東の魯山人と呼ばれ、一方で明治11年に大阪に生まれで生涯三重県を中心に活躍した川喜田半泥子については、西の半泥子と呼ばれていました。

魯山人と比されるくらいですから、川喜田半泥子は芸術人。
陶芸もたしなみ、芸術を愛し、食も愛し、例えばおいしい料理を楽しむために、自ら陶芸をして焼いた器でご馳走を楽しむというところは、まさに魯山人と近いと言えましょう。

しかし、川喜田半泥子は芸術人であるとともに、財界人であることも忘れてはなりません。

現在も、三重県で随一の銀行と言えば「百五銀行」。三重県のあらゆる都市にて、立派な百五銀行を看板を見つけるでしょう。
その半泥子はその百五銀行の第6代頭取であるのです。

そのことからもわかるように、三重県でも有数の資産家であった川喜田半泥子。自身は趣味として芸術をたしなみながら、その自身の資材で、人間国宝などの芸術家を支援していました。

川喜田半泥子の足跡は、今も百五銀行の本店のある三重県津市を中心に、そこかしこに残っています。
川喜田半泥子が特に愛した料亭「はま作」なども、まだ三重県津市で営業しており、その料亭には半泥子が作った器や書が、たくさん残っていると言われています。

三重県民と素敵な出会いがあれば、料亭「はま作」に足を運んで、半泥子を近くで感じてみてはいかがでしょうか。